
だるまは、縁起物として広く親しまれているんですよね。
しかし、埼玉・越谷で作られる『越谷だるま』は、約300年の歴史を持つことをご存じですか?私としては、そんな長い歴史が身近に感じられるのがとても嬉しいです。
実は、越谷だるまは日本最古、ひいては世界最古のだるまである可能性が高いとされています。
他のだるまと比べて色白で鼻が高く、『美男子(イケメン)だるま』とも呼ばれる優しい表情が特徴です。このだるまには、江戸時代から受け継がれる職人の技と想いがぎゅっと凝縮されています。
ここでは、越谷だるまがどのように誕生し、どのように人々に愛されてきたのか、さらに『世界最古』とされる根拠について、歴史を一緒にたどってみましょう。この歴史に触れると、越谷の魅力を改めて感じますね。
きっと、だるまを見る目が変わることでしょう。
江戸時代から受け継がれる越谷だるまの伝統工芸

越谷だるまは、江戸時代中期の1713年頃から作られてきた伝統工芸品とされています。 その長い歴史に、思わず胸が高鳴りますね。
別名「武州だるま」や「まくりだるま」とも呼ばれ、関東全域の人々に親しまれている縁起物です。
現在、年間で約40万から50万個が生産されており、昭和59年(1984年)には埼玉県の指定伝統的手工芸品に認定されました。 地元の職人さんの手仕事が、こうして広く評価されているのは本当に嬉しいです。
顔は色白で鼻が高く、柔らかな上品さが漂う表情が特徴です。その独特な魅力は、他の産地のだるまとは一線を画していますね。
越谷だるまが誕生した背景
人形師・だる吉さんのひらめきがきっかけです
越谷だるまの歴史は、江戸時代中期の1713年頃にさかのぼりますとされています。
越谷の間久里(古河とも)に暮らしていた人形師・だる吉さんが、当時からあった玩具「起き上がり小法師」に、禅宗の祖である達磨大師の座禅姿を描いたのが始まりなんですね。
この1713年頃の「だる吉」の記述が、現在確認できる最も古いだるまの記録とされているんです。
何度倒しても起き上がる「起き上がり小法師」に、達磨大師の姿を描くなんて、とても素敵な発想だと思いませんか?こうした創意工夫に、越谷のものづくり魂を感じますね。
きっとだる吉さんは、新しい生業を探していたのかもしれませんね。
江戸の子どもたちの間で大人気に
だる吉さんが手掛けた越谷だるまは、「武州だるま」という呼称で、江戸の子どもたちの間で大変人気を博したとされています。
1777年には、江戸で武州だるま(越谷系だるま)が流行していた旨の記述が残っていますね。
倒れても何度も起き上がる姿が「七転び八起き」の象徴となり、庶民の願いや粘り強さを表す縁起物として広がっていったんです。その精神は、今でも越谷の人々に受け継がれていると感じますね。
江戸(現在の東京)に比較的近い越谷は、輸送中に鼻を高くしても壊れにくかったため、思い切り鼻を高く作ることができたと伝わっています。
この地理的条件が、越谷だるまの個性的な顔立ちを形作る契機となったのです。
疫病除けの呪符として求められた
初期の越谷だるまは、縁起物にとどまらず、より切実な役割を果たしていたとされています。
それは、子どもの疱瘡(天然痘)や伝染病除けのまじないとしての機能だったのです。
当時は医療が十分でなく、親御さんたちは子どもの健康を守るために、こうしただるまに願いを託していたのでしょう。
わが子を守りたいという親心は、時代が変わっても変わらないですよね。
越谷だるまが「世界最古」とみなされる根拠
他産地のだるまはすべて越谷より後
越谷だるまが「日本最古=世界最古」と評価される最大の理由は、他のどの産地のだるまよりも記録が古いという点です。やはり、こうした長い歴史に胸が高鳴りますね。
書籍や国会図書館のデータベースを丹念に調べて作成された「だるま年表」では、他産地の記録は次のように示されています。
- 白川(白河)だるま:1783年頃、1787年には白河の殿様が江戸でだるまを知り、持ち帰って白川で作り始めたという記録
- 高崎だるま:江戸後期の1800年頃に初めて登場し、1790年には山形の人物が武州だるまの製造を学び、群馬・富岡(後の高崎)での生産を開始したという説があります。
- 多摩だるま:1855年頃(安政年間)、多摩の友五郎たちが、行商人の持っていた「まくりだるま」を元に多摩だるまを作り始めた
これらはすべて、越谷だるまの1713年という記録よりも後の時代なんですね。だからこそ、越谷のだるまが先駆けだったと実感します。
つまり、現在確認できる最も古いだるまの記録は越谷だるまであり、これ以上古い江戸のだるま情報が出てこない以上、越谷が最古であると考えられています。
「まくりだるま」という決定的な証拠
さらに決定的とされているのは、「まくりだるま」という名称です。
豊岡だるま(現在の高崎だるまの前身)は「まくりだるま」という名称で販売していたという記録があります。
この「まくりだるま」とは越谷だるまのことを指しています。
つまり、高崎ですら越谷の名前のだるまを売っていた=越谷が大元だということです。歴史の流れを考えると、越谷の影響力の大きさに驚かされますね。
現在「日本一のだるま産地」として知られる高崎も、実は越谷だるまをお手本にしていたということになります。
越谷だるまから各地のだるまが派生
だるまの系統図を考えると、最も古い位置に越谷だるま(武州だるま/まくりだるま)が据えられています。
そこから学んだ職人が白川だるまを、富岡・高崎が豊岡だるま・高崎だるまを生み、さらに多摩だるま・岩槻だるま・春日部だるまへと枝分かれしていったと考えられます。
つまり、越谷だるまは歴史的に一番古く、白川・豊岡・高崎など有名なだるまの起源(大元)になっているんです。
全てのだるまの“本家”が越谷にあったとは、実に驚きです。やはり越谷の伝統は奥深いと感じます。
越谷が日本一のだるま産地へと至るまで
高崎から技術を取り入れたとされる誤認
越谷のだるま製作に関しては、下間久里を中心に明和年間(1764〜1772年)に群馬県高崎方面から技術を取り入れ、本格化したという資料があります。
しかし、これは後の時代に高崎だるまが盛り上がり、機械生産技術が発達した後の話である可能性が高いとされています。私としては、こうした誤解が残るのも興味深いと感じます。
実際には、高崎だるまが発祥ではなく、本当の発祥は江戸のだるまであり、越谷のだる吉が発明したという説が濃厚なのです。私もその説に関心を抱きます。
高崎だるまは後に機械生産を導入し、大量生産に成功して「日本一の産地」という地位を確立しました。その躍進は本当に驚くべきものです。
その機械生産技術はやがて越谷でも採用され、高崎だるまが発祥とされることもあるようですが、歴史を遡れば越谷が先だったと考えられます。やはり歴史を振り返ると、越谷の先駆性が光りますね。
幕末から明治にかけての隆盛
幕末から明治にかけて、越谷だるまは隆盛を極め、「日本一のだるま産地」として広く認識されるようになったとされています。この時代の盛り上がりは、地元の誇りにもなっていると感じます。
この時代、越谷のだるま業者は「五色だるま」という商品を積極的に生産していました。
青・黄・赤・白・黒(のちに紫)の豆だるま5体セットで、縁起物として大変な人気を博したと伝えられています。
カラフルで小さなだるまが5つ揃う姿を思い浮かべると、とても可愛らしいですよね。
関東一円から全国へ広がる流通網
越谷だるまは、川崎大師、柴又帝釈天、西新井大師など関東各地の寺社へ出荷されるようになりました。こうした広がりは地域の結びつきを感じさせますね。
江戸に近いという立地条件を活かし、効率的に流通させることができたのです。
やがて北海道から九州まで全国的に「越谷だるま」の名で知られる存在となっていったとされています。その全国的な認知は、越谷の魅力が広がっている証です。
一つの地域の伝統工芸品が、こうして全国に広がっていくのは素晴らしいことですよね。
越谷だるまが持つ魅力と特徴
色白で鼻が高く、まさに美男子(イケメン)と呼ばれるだるま
越谷だるまの最大の魅力は、何と言っても色白で鼻が高く、優しく上品な表情が特徴だということです。
全体は丸みを帯びたフォルムで、柔らかな表情が「美男子(イケメン)だるま」って呼ばれる理由になっているんです。
群馬の高崎だるまなど、他の産地のだるまは力強い顔つきが目立ちますよね。
それと比べると、越谷だるまはとても穏やかで、見ているだけで心がほっこり和むように感じませんか?
疫病除けから縁起物へと変わった役割
越谷だるまは、時代とともにその役割が変わってきたんです。
最初は疫病除けのまじないとして求められていましたが、次第に開運、厄除け、家内安全、商売繁盛、五穀豊穣といった広い縁起の意味が強くなっていったんです。
「運を呼び込む守護神」として、多くの人の暮らしに寄り添ってきたんです。
私たちも、何か新しいことを始める時や、願い事をする時に、だるまに目を入れたりしますよね。
手作業で生み出す温もり
現在も越谷市内やその周辺の職人さんたちが、主に手作業で生産を続けているんですよ。
越谷市に4軒、さいたま市や春日部市にも職人さんがいて、年間で約40〜50万個が作られているとされています。
機械化が進む現代でも、一つひとつ手作りされているのは本当に素晴らしいことです。
きっと職人さんたちの想いと技が、一つひとつのだるまに込められているのでしょうね。
現代に受け継がれる越谷だるま
埼玉県が指定した、伝統的な手工芸品として
昭和59年(1984年)に「越谷張子だるま」が埼玉県指定の伝統的手工芸品として認定されたんです。
この認定をきっかけに、行政の支援と合わせて技術の継承や後継者の育成が進んできましたね。
約300年の歴史を次の世代へつなぐべく、地域全体で取り組む姿勢がひしひしと伝わってきますね。
こうした取り組みがあってこそ、今私たちが越谷だるまに触れられるんだと考えると、とても感謝の気持ちが湧きますね。
伝統とアートの融合
近年はアーティストやデザイナーが関わる、さまざまなだるま企画が誕生していますね。
伝統の形を残しながら、現代的な色彩やモチーフを取り入れた作品が注目を浴びているんです。私もこうした新しい表情に胸が躍りますね。
約300年の伝統と現代アートを組み合わせた試み、実に斬新だと感じますね。
その結果、単なる縁起物を超えてインテリアやアートピースとしての需要が伸び、若い世代や観光客への訴求力が高まっていると言われていますね。若い方々が手に取る姿を見ると、未来が明るく感じますね。
地域ブランドとしての発信
越谷市やだるま組合、地元の商業施設が連携し、展示やワークショップ、PRイベントを通じた情報発信が強化されていますね。
たとえばイオンレイクタウンでは、展示やイベントが積極的に行われていますね。
小学校の社会科でも、郷土の工業・伝統産業の例として越谷だるまが取り上げられ、次世代への継承と理解促進が進められていますね。地域の子どもたちがこうして学ぶ姿に、私も励まされますね。
子どもたちが地元の伝統を知り、誇りに感じることは本当に素敵ですね。
越谷だるまは江戸時代に始まった、地域の誇りです
越谷だるまの歩みを振り返ると、約300年もの長きにわたり、数多くの方に愛され続けてきたことがはっきりしますね。こうした歴史の深さに、胸が熱くなります。
だる吉さんという人形師の工夫がきっかけとなり、当初は疫病除けとしての役割があったものが、やがて縁起物へと変わり、江戸時代の子どもたちにも愛され、結果として日本一の産地と認められ全国に名を広げました。こうした長い歩みを見ると、やはり越谷の誇りを感じずにはいられませんね。
さらに注目すべきは、1713年という記録が現存するだるまの中で最も古く、越谷だるまが日本最古、ひいては世界最古のだるまである可能性が極めて高いと評価されています。
色白で鼻が高く、まさに『美男子』と呼ばれる独特のデザインは、江戸に近いという地理的な背景が影響して生まれたものです。こうした顔立ちが、見る人の心をつかんで離さないのが不思議です。
今もなお職人の方々が手作業でひとつひとつ丁寧に制作を続け、伝統を守りつつ、現代アートとのコラボなど新たな挑戦にも取り組んでいます。その姿勢に、越谷の未来への希望を感じますね。
埼玉県の伝統的な手工芸品として、地域ブランドや観光資源としての価値がますます高まっています。訪れる人が増えるたびに、地元の誇りが広がっていくのが嬉しいです。
越谷だるまを手に入れるなら「ガーヤちゃんの蔵屋敷」へ
歴史ある越谷だるまを確実に手に入れたいなら、東武スカイツリーラインの越谷駅に併設された「ガーヤちゃんの蔵屋敷」で購入できます。地元の職人の技が息づく姿を見ると、やはり越谷の誇りを感じますね。
店内には大小さまざまな越谷だるまが並んでおり、ぜひ足を運んでみてください。
ぜひ越谷だるまに触れてみませんか?
ここまで読んでくださり、越谷だるまへの関心が芽生えてきたのではないでしょうか?
機会があれば、実際に越谷だるまを手に取ってみてくださいね。
その優しい表情と、手作りならではの温もりを実感できるはずです。
新年の幕開けに願いを込めて目を入れるのも良いですし、インテリアとしてお部屋に飾るのも素敵ですね。やはり、身近に置くと心が和むと感じます。
約300年の歴史を誇り、世界最古とされる越谷だるまは、きっと暮らしに彩りと幸せをもたらしてくれるでしょう。
この素晴らしい伝統を共に応援していきましょう。